喪失感=心の虚無について
2004/04/04
長男の死後、睡眠時間の確保のために坑うつ剤、坑不安剤のお世話になっています。日常生活では特に問題があるわけではありませんが、時々、訳もなく抑うつ感に襲われることがあります。ずっとそのメカニズムを考えていましたが、一つの仮説を思いつきました。長男の喪失体験、これは心の中にぽっかりと穴を空けました。心の中に「虚無」空間ができたわけです。心はその分だけ小さくなろうとしますが、私の無意識が心の大きさを維持しようと働き、その無の穴を埋めようと、常にいっぱいいっぱいにしておこうと、あれこれと考え行動することを意識に求めて、意識の強い覚醒状態が続くというものです。しかし覚醒状態は継続できず、そのはざまで抑うつ状態が顔を出します。過剰な覚醒状態のために、入眠できてもレム睡眠時に覚醒してしまうのでしょう。おかげで、いろんな問題意識が持てますし、いろんなところに参加する意欲も沸きますので、体調管理さえすれば、良い効果とも言えます。仕事を辞めて1年間休養することで、こんな心の有り様を分析できるようになりました。でも、この虚無と折り合いをつける作業、長男の死をきちんと受容する作業にはまだまだ時間がかかりそうです。
全教科に指導要領超す内容 小学校教科書、検定緩和
3月30日、文部科学省は、来春から使用する小学校教科書の検定結果を発表しました。学習指導要領の範囲を超える「発展的内容」が全教科に初めて登場。5年生の算数で「台形の面積を求める公式」など、内容を厳選した現行教科書では消えた項目を「発展」として復活させるそうです。「食物連鎖」(6年生理科)や「縄文時代」(6年生社会)など中学レベルの内容も許容、同時に公表した高校教科書検定では、生物2の「臓器移植と細胞性免疫」など大学レベルも認めています。国語、社会では、発展かどうかで文科省側と教科書出版社の見解が食い違うケースも多数ありました。
文科省は従来、指導要領を超える記述を一切認めていませんでしたが「学力低下」を懸念する声に押されて変更。昨年の高校教科書検定から選択科目に限って許容し、今回は全教科で認めたことになります。
「ゆとり教育」のスローガンは何年もったのでしょうか? 子どもたちにとっては、学年によって学ぶ内容が変わるということを、どう認識しているのでしょうか。習熟度別クラス分けで、授業の内容に違いが出て、子どもの選別化がすすむことは間違いありません。できる子とできない子、勝ち組と負け組を義務教育段階から生むシステムであることを問題視する声は残念ながらまだまだ小さいと思います。
他にも様々なスローガンが浮かんでは数年で消えていきます。文部科学省の対症療法的な政策が長続きした試しはありません。日本の教育制度が第二次産業の推進に適したシステムとして出発し、それをバブル崩壊以後の変化の時代においても根本的な見直しをすることも、将来を見通した政策を検討することもなく、ただ発生してくる出来事に翻弄されながらパッチをあてるために「協力者会議」等をつくり、まとめや通達、スローガンを連発してきましたが、長期的に実効性のある政策を打ち出すことはできていません。会議室の机上の議論から生まれてくるものは、現場、現実から解離しています。不登校、いじめ、非行の増加はそれを奇しくも証明しています。教育の国家統制的傾向も見過ごせません。イラクへの自衛隊派遣について反対署名を提出した女子高生、小泉首相は署名を見ることもなく、教師に自衛隊派遣の意義を「ちゃんと教えて欲しい」と平然と言い切りました。「官」の振り子は右側に振ったまま止まっているようです。振り子が振り子として働くためにも、子どもにとって分かる授業、楽しい学校を創るための現場・親が大きな声を出せる環境となることを切望します。