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        学校の主人公は校長か子どもたちか、生徒指導の視点の違いで…。
        2004/10/03
        私の住む向日市には、生徒指導上の視点が対極的な中学校があります。1つは、私の長男がその「荒れ」に耐えきれず不登校になっていった学校で、校長を頂点にしたピラミッド型の学校管理体制が敷かれ、校則の遵守と学校秩序の維持を旗印に、茶髪や服装の乱れた生徒を、他の生徒に悪影響を及ぼすとして門から中に入れないという管理教育の落とし子のようなところ(最近は少し緩やかになっているようですが)。もう一つは、次男の通う学校で、子どもたちを主人公とした学校づくりをめざした逆ピラミッド型、問題のある子どももともかく学校内に受け入れ、内面に寄り添って人間関係を深める中で受け入れられる安心を感じ安定していく、体育祭の運営・司会も生徒会が行い、優勝チームの表彰なども生徒会長名で渡されるという生徒自治を尊重するところです。前者の場合、学校の入り口で「入る」「入れない」の押し問答が最初の「生徒指導」となり、それにエネルギーを使い、信頼関係は生まれることなく、肝心なところ、いざ問題が起こった時に、子どもと教師が人間として向き合う関係にはなれずに適切な対応が後手になったり、学校内で抱え込んだり、子どもと家庭にのみ問題の原因を置こうとします。「開かれた学校づくり」「家庭・地域との連携の強化」というお題目は、文字通りお題目に終わってしまいます(最近はやたらと「家庭訪問」が強調されますので、全てのケースがそうだとは言いませんが…)。後者の場合、最初から「受け入れる」ことで人間関係づくりが始まっていて、日々の関わりは深く、問題が起こっても、信頼関係の中での話し合いが行われ、その子への指導に必要な対応は教職員集団で共有された課題として検討され、家庭や地域関係機関との連携もスムーズに行われます。とはいえ、ここでも校長は、教育委員会開催の「校長会」からの指導を受け、管理教育をすすめる立場に追い込まれていますから、職員会議での議論は、ある意味戦場なのでしょう。それでも、ゆるやかな妥協はありつつも、子どもたちの主体性に依拠し尊重する立場を貫こうとする教職員の姿勢に軍配があがります。事実、そうした視点での生徒指導をすすめる中で不登校生徒数にしても問題事象発生件数にしても、前者の学校は群を抜いて多く、後者は少ないという結果が出ています。
         「過度に競争的」でストレスにあふれる現在の学校社会。学歴信仰はまだ、というかこんなご時世ゆえに強いものがあります。しかし、私たち大人が、いましっかりとした視点を持つべきところは、子どもたちにとって「最善の利益」となる環境はいかなるものであるか、人間としての人格の成長・発達にとって望ましい選択は、というものではないでしょうか。悲しい少年犯罪・被害が続いていますが、その背後に、こうした視点が存在していたかどうか、検証してみる必要があると思います。