半世紀続いた「特殊学級」の表現見直しへ。
2004/10/17
中央教育審議会の特別委員会は、障害のある児童や生徒の教育について、学校教育法などで半世紀にわたって使われてきた「特殊教育」という表現を改めるよう求める中間報告をまとめました。文部科学省は同審議会の答申をまって、「特殊学級」の言葉も含め、来年度にも法改正に乗り出すそうです。
「特殊教育」は障害のある児童生徒をきめ細かく指導するため、盲・ろう・養護学校や「特殊学級」で行われてきました。こうした言葉遣いには、以前から「障害者への配慮を欠いている」などとする批判があり、多くの自治体では、「特殊教育」の担当部署名を「養護教育係」などと変えたり、「特殊学級」を「ひまわり」などと呼んだりしています。しかし、法律については、「適切な言い換えが困難」として見直しが進んでいませんでした。
ところが、近年、従来の特殊教育の対象に、学習障害(LD)や注意欠陥・多動性障害(ADHD)などの児童生徒も加え、教育ニーズに応じた支援を行うという「特別支援教育」の考え方が広がってきました。同委員会は「特別支援教育の理念を定着させるためにも、法律の用語を改める必要がある」と提言。言い換え語の選定は文科省が行うそうですが、「特殊」を「特別支援」に改める案などが考えられています。
「特別」「特殊」という発想に、そもそもの問題の本質があるように思えます。人それぞれ、様々な性格や人格を持ち、身体的あるいは気質的課題も多かれ少なかれ持ち合わせていると思います。最近まで「ちょっと変わった子」として社会にとけ込んで来れた子どもたちが、LD、ADHD、広汎性発達障害などの脳機能障害による軽度発達障害として診断され、診断名が一人歩きし、多人数での一斉授業や管理教育に適さない症状であるが故に「特別」な支援が必要とされ、「特殊学級」という別室に閉じこめられてきたのではないでしょうか。必要なのは、こうした別室での「特別」な支援ではなく、一般学級での学習や生活をしていく上で必要な支援を行う人的な支援だと思います。それは、不得意な領域に、不得手な科目に、パニックを起こした時に、適切な援助を行う、リアルタイムな援助であり、それらの課題を一歩一歩改善できるように具体的援助を与える支援です。あらためて、学校は「育ち」の場です。
髪切り校長、暴行容疑で書類送検
9月20日付けの「つぶやき」で紹介しましたが、埼玉県鳩ケ谷市の市立中学校で9月、男性校長(57)が中学3年の女子生徒(15)の髪の毛を切って持ち去った問題のその後です。女子生徒と母親が同署に被害届を出されていて、県警武南署は15日、校長を暴行容疑でさいたま地検に書類送検しました。
校長は同21日、市教育委員会に退職願を提出、現在は処分を待って休暇を取っているそうです。
校長の問題、責任追及は当然ですが、この校長を管理していた教育委員会の責任は、どこで問われるのでしょうか。