ちぬ釣りと精神安定。
2002/05/24
長男が自殺する前から、舞鶴を中心に日本海に通っています。たまにしか釣れないちぬ(黒鯛)ですが、ちぬや鯵等の他の魚を、長男はよく食べてくれました。休日の一日を丸々潰して遊ぶ訳ですから、「釣り」というのは「家族を見放した遊び」、あるいは「家族に見放された者のやる趣味」、さらには「結局、現実逃避よね」等と、あまり良くは見られません。でも月に1~2度、いや2~3度、数時間を一切を忘れ海の上で穂先と糸を見つめ、ちぬがエサをくわえる一瞬を見逃さないスリル、ちぬを寄せるために絶えず繰り返すだんごの投入、エサ取りとして釣れる鯵やカワハギ、ちゃりこ、ハネ等の夕食のおかずになる魚たちを釣り上げる快感、なんと言ってもその日一日を自然の中で過ごしたという感覚が素晴らしいのです。釣れれば持ち帰って、さばき、夕食になる。釣れなくても、行き帰りの数時間を(私は多くを一人でバイクで往復しています)、いろいろなことを考え(独り言を言いながら)、たとえば仕事上の会議等での報告や、この間の様々な取り組みに向けての意見の整理等に使わせていただきました。確かに疲れます。3~4時間の睡眠で海に向かい、9~10時間を波に揺られ、2時間余りをかけて帰ってきて魚をさばく。過酷と言えばこんな過酷な遊びも少ないでしょう。でも、決して飽きることなく、行けば心豊かになり、こんな安定剤はほかにはないと思います。長男の死後、海に向かう回数は確実に増えていると思います。