「私が我慢すれば良い…」で解決する問題か?
2022/07/19
日本は「私さえ我慢していれば…」と考える人が多い国でしょう。歴史的にも、宗教文化的にも、経済的にも、ジェンダー感などからも、マイノリティ(少数派あるいは個人)が組織(あるいは社会)全体も問題や課題を抱え込むことで、表面上は見えなくしておくことが求められてきたことによると思われます。
問題や課題に対して、「公」(国)は知らないことに、「共」(家族や親族、身近な地域コミュニティ)は触れないことにするので、「自」(我)が一人背負うことになってしまいます。
「自」「個」で解決できるレベルの問題・課題であればそれも良いでしょうけど、「我慢」するのは「誰かのために」が頭につくからで、そもそもは「誰かの」、あるいは家族・親族、地域や社会の問題・課題である場合には、「自」「個」が背負う・担うことで、解決を遠ざける結果になってしまうことが少なくありません。
生まれてこの方、冒頭のような先入観や潜在的な価値観に支配されて生活してきたので、そう簡単には発想の転換を図ることはできないかも知れませんが、客観性、合理性、将来を見通して妥当な考え方や判断、行動ができるようになって行くこと、その転換が必要な時代ではないかと思います。
相談室カンナはカウンセラー、ソーシャルワーカーとして、個人の内面の問題として扱うだけでなく、客観的・俯瞰的に解決に向けて事態の本質を共に探り、関係する人や行政や民間が提供する支援施策の活用もしながら、問題・課題の解消をご一緒に取り組みます。
「私さえ我慢していれば…」には限界があります。「私」は我慢できても、「私」は永遠の存在ではありませんから、「次の人」がそれを我慢することになってしまうことを、今立ち止まって考える時間を相談室カンナで持ってみませんか?
どんな困り・悩みにも対応いたします。お気軽にお問い合わせ下さい。