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        私の二面性への指摘と同一化について
        2002/12/01
        私の自著「不登校自殺」やシンポジウムで発言する時の私と、直接会って話をした時の私が違う、二面性を感じる、という指摘を受けました。この指摘をしていただいた方は、とても感性の鋭い方だと思います。
        私自身も自信の二面性については、長男の死の直後から悩み続けてきたことですが、徐々に同一化していっています。
        二面性とは、1.長男を救えなかった情けない親、長男の苦しみに最後まで寄り添えなかった申し訳ない気持ちにあふれる親として、体験を今後不登校(とその予備軍)の子どもたちの中から二度と長男のように自ら命を絶つという最悪の選択をさせないために行動する私、2.長男の不登校の直接的原因となった当時の中学校の荒れへの誤った画一的な生徒指導によって学年が崩壊し、その中で自己否定感等を強め学習権を侵害され不登校等になった子どもたちを多数放置状態にした学校側の不作為に対して、人権救済の申し立てを行ったり、そうした中でも学校管理者と子どもたちの間で苦悩していた教職員たちを励まし、子どもが主人公の学校への再構築を微力ながら一緒に取り組もうとする私、です。
        学校で自信を失っていく、自己への否定感を強めていく、そして学校に行けなくなる。こうした子どもたちを生み出しているのは、今の学校社会です。学校社会において子どもたち一人ひとりを認め、受け入れ、寄り添い、学びと育ちを支える現場にいるのは教職員であり、親であるわけです。お互いが(時には必要な関係者・機関が)同じ価値観と方向性をもって子どもに関わっていくことが、自己肯定への必要条件ではないでしょうか。スクールカウンセラーにその「橋渡し」の役割が求められているようですが、学校によってその位置づけや、本人や家族・担任等への介入の領域がまちまちであり、本来の目的にそった活動が行えているカウンセラーはわずかだと思えます。親と教職員の共同した取り組みの必要性を痛感する中で、この二面性は同一化していったと思います。