自殺遺族の外的傷害後ストレスについて少し。
2003/04/20
この3月いっぱいで仕事を辞めて、心理臨床家の一人となるべく放送大学で学んでいます。3週間余りの自身の人生の選択後の心理をふりかえると、まず、選択のきっかけは言うまでもなく長男の不登校からの自殺という出来事です。3年程仕事を続けましたが、人権救済申し立てや出版、講演などを忙しい仕事の合間をぬってがむしゃらに取り組んできたことがよくわかります。その中で今回の選択が結論として導かれたわけですが、その背景というか、心の奥底で決して薄れることなく継続されてきた心理、長男の自殺という絶大な外的心障を日常生活の中で抑制することを続けていたことにも気づきました。仕事を辞めた今、この外的心傷の後に心理に及ぼすストレスを何のフィルターもなしに感じています。3年間続いている睡眠障害、いくつかの強迫観念、対人障害なども、ダイレクトに認知できます。5月から、「学習分析」を兼ねて、これらのストレス性障害とどうつきあっていくかカウンセリングを受けるつもりです。長男の死を、まだ受け入れられていないことによると思われるその喪失感、自責感の感情の中の居場所探し、この課題の整理(心の中で折り合いをつけること)を一定済ませないままでは、人の心の援助などできません。時間をかけて取り組もうと思います。
今度の日曜日27日は、向日市長選挙の投票日です。府営水道契約を解除し以前の地下水に戻す、不要不急の大型公共工事をやめ福祉・教育の充実に予算を使う、小型市内循環バスなど市民の要求を聞き実現をめざすことを公約する「民主市政の会」の候補者は、私がそれなりにがんばってきた保育所や学童の保護者会連合会の活動の先輩で、手話通訳(士)として市役所に入ってから障害者福祉の分野で25年間勤めてきた方です。現在の地方自治の長に求められる姿勢、人格をよく判断して一票を投じてほしいと思います。私は26・27日と日本臨床心理学会の総会に参加するので、生まれて初めて「不在者投票」をします。