「犯罪者の親打ち首に」…「青少年育成推進本部」責任者の発言?
2003/07/13
『長崎市の幼児誘拐殺人事件で補導された少年(12)が在籍する中学校では、身近で起きた衝撃的な事件のショックから、心身の変調を訴える生徒が相次いでいる。生徒は「眠れない」「制服を着たくない」と言い、教職員も途切れない嫌がらせ電話の応対などで精神的に疲弊しているという』(YAHOOニュース7/13より)。被害者の家族の受けた悲しみや怒りは言うまでもなく、補導された少年の家族の受けた衝撃も、学校等関係者の心痛も計り知れないものです。そんな折り、政府の「青少年育成推進本部」副部長で防災担当相でもある鴻池祥肇氏が11日の記者会見で「犯罪者の親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」「引きずり出してTVであやまらせればいい」等と発言。問題化した後「例え話だよ」「勧善懲悪の水戸黄門がはやっている」と、1人のおじさんの世俗話をさらに堂々と発しました。人権意識のかけらもなく、人の痛みを感じないこんな短絡的なおじさんが、青少年問題の何を語れるというのでしょうか? 「打ち首」が罰として残っていたのは封建時代まで、この人の意識には、その後の人権と民主主義の時代はすっぽりと失われているのでしょうか?
事件発覚の翌日、同じ長崎県長与町の小学校の教頭が3年生の図画工作の授業中、忘れ物をした生徒に対し「あまり忘れ物が多いと、裸にして突き落とすぞ」と発言したという報道も…(生徒たちはこの人が犯人ではと騒いだ)。
競争原理に毒された現代の日本社会において子どもたちは受験競争のストレスに喘ぎ、学校にもどっぽりと浸透しています。そしてこんな大人たちの発言をマスコミ等を通じて毎日のように吸収して育っていきます。ゆとりを失った病理社会において子どもたちがおこす様々な事件は必然的とも言え、当事者の子どもやその親にその責任のすべてを押しつけることはできないと思います。青少年の凶悪犯罪が増加、凶悪化、低年齢化しているというマスコミ報道は、それが根拠のない間違った知見であることは資料をみれば明らかで、戦後混乱期の「生きるための犯罪」をピークに全体としては減少しています(『警察白書』参照)。
グローバル化する社会で生き残れる日本人を作るために「愛国心」を育てる教科書を使って教育できるように「憲法」や「教育基本法」を改正すべきと主張されている方々にとって、自尊心を失い自己肯定ができなくなった「弱者」の心などその視野に入ってないのでしょうね。東北地方の地震で多数の被害者が出たとき、我が国の現首相は「地震が起こっても自信は失わないでおこう」とTVで笑いながら発言してしていたことを思い出しました。