スクールカウンセラーがクレーム処理係になっている?
2003/09/28
スクールカウンセラーが学校現場でどんな活動ができるかは、学校側の生徒指導への姿勢や学校内の教職員・管理職・養護教諭等の人間関係に大きな影響を受けるようです。最近よく聞かれるのが、学校サイドで問題や課題が手に負えなくなった時、保護者から批判やクレームが来た時等に、スクールカウンセラーに振って、何となくなだめてもらうという形で「利用」されている気がするというSCの声です。学校にもよると思いますが、SC本来の導入の目的や役割性への十分な理解のないまま、学校内での関係性がきちんと築けないまま週1回(一定高い時給で訪れる)SCに対して、その力を学校運営に活かすという志向を持たないまま、安易にクレーム処理に「心理」的方法をつかって訴求者の矛を納めてもらう役割を負わせるというのは、正に資源の無駄遣いです。様々な課題に悩む子どもや親、教師に学校現場なりの心理的援助を行い、学校内外の関係性を改善に向かわせる提案や支援・関係づくり、子どもの育ちを地域の課題として考えていく示唆を与える活動等、SC本来の役割が発揮できる環境があり、その資質をもったSCであれば、学校は変わり、子どもの人格形成に影響を与える社会的環境をよりよくしていくことできるのに…、と考えると今の現状は残念でなりません。学校管理者は事務処理の合間にSCの適切な活用方法について考えてほしいものです。SC事業の目的についての理解が必要です。
巨人軍原監督の突然の辞任にとても違和感を覚えました。3つの言葉が象徴的です。「巨人軍監督の権威と威厳を傷つけた」「すべて監督である私の責任」「読売グループ内の人事異動と考えてほしい」といったものです。まず感じたのが権力と服従の関係です。学校システムにおいてのそれとダブってイメージされてしまい、心がくすぶってしまいます。それぞれの社会において服従状態にある多数者は、服従状態にあることでその社会に存在の場を確保できるという関係性があります。そこには反発心や違和感があっても、抵抗という行動に出ることはその社会からのドロップアウトをもたらしますので、自分の問題として抱え込んで辛抱する、辛抱・我慢がキャパシティーを超えた時、身体症状が出たり、心身症、うつ等の精神病域に入る等、服従している側に不利益となる構図があります。この服従している側に光が当てられない限り、その社会の抱える課題は改善の方向には向かわないと思います。巨人軍も監督やコーチ、選手の人格に光があたらないと、読売グループが求めてやまない「強い巨人軍」を再生させることはできないと思います。私は巨人ファンではありませんが…。
一昨日は京都文教大学で開催されていた日本臨床心理学会に学生として1日参加、夜は不登校の親の会に、昨日は浜松市でNPO法人として来年度フリースクールをスタートさせる「ドリームフィールド」のイベントとして私の講演をメインにした企画にバイクで参加してきました。子どもを真ん中において、その育ちに豊かな環境としての家庭・学校・地域・行政等の改善に向けた取り組みの必要性を考える大人たちとの新たな多くの出会いがありました。