教育は「教え」「育つ」という支援者と子どもの相互関係。
2003/10/19
2003-10-19
私は学校側の立場から考えて「教え」「育てる」という意味と思っていましたが、本来の意味は「教え」「育つ」だそうです。つまり、教えの支援者である教師などによる「教え」と、それを受けながら「育つ」子どもたちの相互関係をさす言葉です。であれば、学校はその環境となります。教師が教壇から一方的に教科を教え、それを聞いて見て学ぶだけでは「教育」とはならないわけですね。教師からの学習刺激を受けて子どもたち一人ひとりが関心・興味を持ち、考え、調べ発見し、文字通りの学力が育っていくことが本来の「教育」。とても大切な価値観だと思います。
昨夜、地元で開かれた公立高校の京都西区通学圏交流集会に参加してきました。京都府では「特色」「多様化」「選択」「少子化」をキーワードにした「府立高校改革推進計画」が動き出しています。文科省の指導の下進められている全国的な流れですが、どうも目的は学校ごとの役割分担と効率化、予算軽減のように思えます。東京都では普通科校を進学校と中堅校と教育課題校、新しいタイプの高校に役割分担させつつ高校数を大幅に減らす計画です。進学校は東京大学へ進学する生徒を生み出すことが目的だそうです。教育課題校とはエンカレッジ・スクール(励ます、力づけると言う意味)で、教育委員の一人が「カタカナなど使わず、『落ちこぼれ学校』と言った方がわかりやすい」と発言したことからもその役割(?)が理解できます(この発言は後に事務局が議事録から削除したそうです)。他都県でも「特進コース」「学究コース」と言う名の進学校づくりや、学区の廃止(全県1学区等)が進んでいます。教育委員会や行政の側からはこうした「改革」が必要と考えるのでしょうが、子どもたちはそれらを望んでいるのでしょうか? そこで言われる「役割」に応じた力が育つのでしょうか? 京都のある普通科進学コースの生徒へのアンケートでは、その学校を選んだ理由について、「近くの高校だから」…40.0%、「クラブ活動」…20.0%、「その他」…20.0%で、「特色」と答えた生徒は2.9%に過ぎないという結果が出ています。近くの高校でクラブ活動もやりたいというのが子どもたちの本音です。この進学コースの生徒の97.5%がクラブに入っています。学校を運営する側と利用する側のこのニーズのズレを私たち大人は考えるべきなのでしょうか。また、京都では定時制高校が減らされる一方で入学希望者が増え、それまで受け入れられていた不登校経験等の子どもたちがはじき飛ばされるという状況も生まれています。権力をもって決定するのは運営する側、保護者が校則の厳しさなどについて苦情を言うと「あなたが選んだのだから、気に入らないなら他へ行って下さい」と、運動部の指導がしたいという教師には「他校に転勤して下さい」と平然と言う校長がいるそうです。行政側の発言をもう一つ…。「今は自己決定と自己責任の時代。生徒の選択の幅を広げるのは当然」(滋賀県のある市長)。公立の中高一貫校もできはじめ、12歳や15歳で人生コースの「選択」をさせるということを、不自然に思えない人たちに「教育」が動かされているという現実を私たちは厳しい目を持ち、不自然なことを自然なことに変える取り組みを強めていかなければならないのではないでしょうか。