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        3 Twitterつぶやきから—「対人援助(福祉、医療、臨床心理、教育…)vol.1」
        2012/12/18
        「Twitterつぶやきから」では、Twitterで@kanna1961にてつぶやいてきた、やや“まとも”と思われるものを紹介します(ばらばらで申し訳ありません)。

        しばしば考えてしまいますが、相談支援を必要としている人は、まだ医療や福祉等の枠組みにつながれていない人の方が多い。というか、そんな仕組みを知らない人が多い。制度やサービスにつながるまでにうんと距離のある人たちを「相談支援」等につなぐ支援には仕組みも報酬もない。ここに問題の本丸が。

        幼児期に、何かイケナイ事をして、叱られたり、自身を恥ずかしいと思った記憶って、しっかりと覚えていませんか? 殴られたり、蹴られたり、からかわれたり、集団で無視されたり…。覚えている、ということは、その体験ときちんと折り合えていなくて、引きずっているということ。被虐児も加虐児も…。

        脳が「高機能」とされる人は回転が良すぎて考えすぎるのだろう。深読み、先読み、それが夢や希望や計画であれば良いが、それに伴うリスクも考えて否定的思考が拡がり、結果、自身の行動を抑制してしまうのでは。ストレス蓄積+不安増幅から抑うつ的になる。その日やることを最少・単純・視覚化しよう。

        人と人との関係性が喪失して来た中で、自死、過労死、孤独死、不登校など子どもたちの問題行動が増え高止まりしている。安心できる人のつながり、集う場などを作りなおさないと…。精神病域でない人には投薬でなく、失った自尊感情を取り戻せる環境が必要。

        不登校もひきこもりも精神疾患とされる症状も自殺したいと思う気持ちも、環境(ほぼ人との関係性)による「不安」に原点があるかと。環境における問題・課題を調整・改善する視点が必要で、生育歴やおかれている状況、家族・社会(人間)の関わり(精神医療もその一つ)方をまず把握すべきかと。

        臨床心理、精神医学、福祉関連の「専門」用語の翻訳語さがしを始めたいと思います。CL.のためにではなく、支援者(自分も含めて)のために…。例えば、「同一性保持」→「やってみて安心だったことを続けたいと思う気持ちや行動」なんて。結構たいへんそうですが、用語の字義通り解釈は危険なので。

        どんな関係性においても、意思疎通を良くするためには、お互いの思いを共有できる十分な情報と互いを尊重する気持ちが不可欠。そして、その改善が必要な際には、話し合うタイミング(潮時)が結果に大きく影響します。でないと、一方的な言いたい放題という残念な状況を生むこともあります。

        リエゾン(連絡、調整、連携、つなぎ…)をきちんとして、信念を持って距離を取るって関わりが必要な時があると思います。依存関係の形成を2者関係で修正できない時など…。リエゾンを受ける側の力を発揮しやすい関係性になってもらいたいし。そんな連携先がWWWのごとく拡がってほしいと。

        「ASについての誤解」。常に対人関係を避け他者に無関心、人間関係をまったく持たない、まったく視線を合わせない、他者への共感性に欠けている、天才である。ーこんな認識じゃ、ASDの「診断」や併存症状との鑑別なんて…。メンタルヘルスの「専門家」の中でも信じ続けられている誤解らしい。

        私もまだまだ勉強中ですが、福祉(障害や介護、保健、地域など)、医療などの分野に「仕事」として関わる人は(良否は別として現行の)障害者自立支援法や介護保険法、精神保健福祉法、年金保険法、生活保護法やそれらに関する厚労省などの「通知」などは、いつでも参照できるようにしておいてほしい。

        不安な気持ちを言語化したら、妄想とか幻覚と判断されてしまって…。緊急対応が必要な場合を除いて、症状だけ見たててくれて、要らぬ薬とか過剰につかわずに、脳ダメージ少なく、状況改善に向けた社会的支援につながってくれると良いのに、と思うこの頃(ずっとです)。

        私の回りは、私自身を含めて、「違い」や「偏り」、変わった性格、ユニークな発想、独特な対人相互関係、こだわり等のある人ばかりに思えます。生い立ちもさまざまで…。「一般的な人」って、どんなタイプの人を差すのか、考え中。

        軽度MR、ASD、アディクション、パーソナリティ、「精神病」などの状態の人を、抑うつや不安神経症などの「診断」でCBT構造に引き入れても…。可能な限りで十分な情報と、時々の的確な診断と、支援ネットワーク内での役割分担や情報共有を前提とした個別のアプローチ、柔軟な構造化が必要かと。

        家族内力動や関係性が正常域(?)を超えると、中の顔とは違う外の仮面が作られる。仮面を見ていても、仮面が語る言葉を聞いていても、家庭内で生じている現実や状態・症状を知ることはできない。診察室内での診療や「相談支援」対応だけでは、「中」=事実を見ない対応になってしまっているのでは…?

        教育行政などの、「受診-診断-診断名依存症候群」的な…。これも「連携」ではあるけど、大切なのはその先の、一緒に見通しを見つけながらの多様に「連携」した支援ではないかと…。

        自閉症スペクトラムのパニック、認知症や高次脳機能障害などの記憶や意識の障害、精神症状としての不安や混乱。機序や具体的対応の理解や体験が不足していると、支援者が対応できない状態となる。そんな理解や体験を、支援者がどう獲得し血肉にするか、その養成環境の構築が課題かと思うが…ないなぁ。

        ひきこもり状態は人それぞれ。神経発達の偏り的な特性で、定型者社会と距離を置くことになる人は多い。でもそれだけが原因では無い。多様な認知体験、思考パターン形成、体験場面での人との関係性(愛着や基本的信頼感などの形成または嫌悪体験化)、それらを基盤に現在、過去、未来を考えている状態。

        支援者が「支援しにくい」などの理由で興奮などを抑える薬を飲ませる行為は、施設などにおける「虐待」とみなしてもいいのではないでしょうか。学校から「受診」をすすめる、という行為も…。特性と症状、状況、関わり様などをしっかりとアセスメントしてほしいと思います。

        「片付けられない」には、理由(=考え方)、状況(環境及び内的現実認知)、行動化への動機の有無やレベルなどがそれぞれ違っている。ひとくくりに注意欠如とか多動性で評価・判断していても問題解決には至らない。この解決は、あくまで本人さんにとっての…。

        部屋の片付然り、持ち物や身の回り然り、動けない状態(ひきこもり状態を含む)然り、「発達障害」の診断や評価・判断は本人さんが必要とした場合にその支援のヒントとなるものではないでしょうか。「発達障害」だから…という支援思考は、本人さんの自己評価を高めないし、支援者側の都合だったり…。

        なんでもかんでも規制緩和、民間委託で、支援「サービス」の質・量が低下し、ハイリスク・ケースが増えてしまっている気がする。それらの支援には相当量の「サービス」提供が必要となり、結果高コストに。必要な人への適切な「サービス」を早期から提供できていた方が低コストになるという簡単な算数。