お知らせ

news

  • ▼新着情報

    • ▼ブログ

      • ▼研究ノート

        14 自殺・自死、用語をめぐって
        「自死遺族フォーラム」(2014年11月23日/枚方市)でのパネル発言から

        私は、14年前に長男を自殺で亡くし、その後、自責の念と向き合いながら、それでも何がいけなかったのか、足りなかったのかを自問自答しながら、社会資源として決定的に不足している相談支援者に自らなろうと学び直し、精神保健福祉士として個人事務所での活動を中心に、多くの方々の人生のあれやこれやの現実の課題にご一緒に取り組んでいるものです。

        長男は自ら命を絶ちました…
        これを人前で語ることの必要性を感じるからこそ語るが、そのたびに新たな悲哀や悲嘆、無力などの感情と併せて辛い体験が生々しく思い出され、トラウマをさらに複雑なものに刻み込んで行きます。
        なぜ、子どもの自死を、こんなにも辛い思いでしか語れないのか、それでも語るべきだと思うのか、そのあたりが、自死・自殺という用語の用い方を考える上で、大切なことだと思います。
        私は、自ら行った行為であっても、その死が、仕方なく選択せざるを得ない状況に追い込まれた中で生じた場合、事件・問題として語る時には「自殺」という用語を、亡くなった人が追い込まれた状況での無力や絶望の感情、そして尊厳、また残された遺族や関係者の無念さや無力感、自責感を語る時には「自死」という用語を、意識して使うようにしています。
        自殺者が年間3万人という社会問題を、個人・個体の脆弱さや家族個別の問題ではなく、社会の支えの不十分さ、日本社会の構造的な問題として取り組む必用を明らかにした自殺対策基本法が施行されたのは平成18年。民間レベルでの取り組みの拡がりに、参議院の超党派議員により立法化された一定課題への具体的取り組みを網羅したものだと思いますが、その中に明記されている「自殺未遂者と自殺(未遂を含む)者の親族に対するケア」については、ずいぶんと後回しになっている状況が、自死遺族・関係者の苦しみをさらに強く、複雑なものにしているのではないかと思います。

        長男の話を少し…。
        公立中学校の3年だった長男は、2000年2月4日、学校から「そこしか推薦できるところはない」とされた単位制の私立高校の受験の当日早朝、首を括って自宅で自殺しました。
        最近、もし女の子だったら、中学1年の時に家の建て替えで仮住まいをしていた場所を住所としていたら隣の中学校に通っていたのに、無理にでも学習塾に通っていたら、そうしたら死ぬことはなかったのだろうなぁ、と思うことが増えました。
        長男の遺書は短いものでした。「自分に自信がなく、このままだとろくな大人になれないと思いました。これ以上、家族や先生に迷惑がかけられないと思った。」
        この2行に込められている意味を、きちんと理解していく必用があると思います。
        運やタイミング、ちょっとした選択のズレで、中学生が、学校のすさまじい荒れの中から不登校になり、学習の遅れを悩み、進路や将来に絶望し、これ以上もう生きて居たくないという選択をし自らの命を絶つ。残された遺族や関係者は、その無念さや哀しみ、辛さ、苦しみを引き受け、何かできたはず、あの時こうしていたらと薄まることのない自責感情と毎日向き合いながら、生きて行かなければならなくなります。

        不登校の状態に長男が向き合っていた当時、そして長男の死後、私たち家族に一番必要だったのは、ちゃんと相談できるところでした。
        不登校状態について、学校は相談先としてまったく機能していませんでした。SCも、当時はモデル的な配置事業としてその学校には非常勤で一人心理士が配置されていましたが、本人が行けない学校に相談に行けるはずもなく、私が2回、仕事を休んでカウンセリングを受けに行きましたが、何かが改善したり、気持ちがスッキリしたわけでもありません。
        そして長男の死後、学校は自死の事実をできるだけ曖昧にして学校には責任がないことの表明にエネルギーを注いだだけです。
        それだけではなく、駆けつけた病院の霊安室で長男の変わり果てた姿に向き合い、まだ長男の死を自殺としてカミングアウトするかどうか迷っていた最中に、現れた当時の学校長は、あいさつもなくいきなり「この度のことは、受験のただ中にもあるので、他の生徒には自殺ではなく、亡くなられたとだけ伝えたい」と、緊急に召集されたらしい教育委員会の校長会の判断の了解を得るためにそう伝えに来ました。子どもたちをあずかる学校の長が、子どもの自殺の意味を問うことなく、穏便に、事務的に処理して済ませようとする態度に、私の対戦スイッチが入ってしまったのは仕方ないことだと思います。
        長男が置かれた、荒れ荒んだ学校の状態、それを押さえつけるために取られた力尽くでの管理・統制の生徒指導、それに対抗してさらに荒れる生徒との乱闘の毎日。マジメでおとなしい生徒が学習の機会を奪われ、学校に行くこともできなくなる。
        こうした状態や経過はオカシイと、長男の死後に人権救済を申し立てた京都弁護士会の人権擁護委員会は、これらの事実の検証と併せて、不登校状態の生徒の増加などに対して、学校が本来行うべき対応をしていなかったことを不作為として、学校長や教育委員会に対して「要望」として執行しました。人権救済は訴訟とは違って、法的拘束力がないので、執行されても教育委員会で数分の議論があっただけで、何もその後の学校教育に活かされることはありませんでした。不登校を含む公立小中学校での問題事象などを集計する文科省が毎年行っている学校基本調査の数値をその後毎年、市に対して公文書開示請求をして取り寄せていますが、不登校の発生率も、問題事象も、減ることがありません。あれから14年、何も変わっていないどころか、次代の流れと共にあらたな問題を抱え込んで行っています。

        自死・自殺という用語について
        私には、登校拒否から不登校という用語に代わっていった経過と重ねて考えられると思います。
        今、国や文科省、学校行政は不登校という用語で統一して表現していますが、あえて登校拒否という用語を使う文脈があります。

        自死か自殺か、不登校か登校拒否か、
        その違いが意味するものを考える視点が5つあると思います。

        1.自死をした人の尊厳、死を選択せざるを得なかった心理社会的・構造的要因を可能な限り明らかにすること
        2.遺族(関係者)の自死の受容・再構成、社会的孤立を防ぐこと
        3.自死を語る時の目線、語りの主体者、自死の意味を大切にすること
        4.加害・被害関係の有無、その質や量を可能な限り明確にすること
        5.自殺と言えない、自己責任化してしまう社会や仕組みへの問題提起
        これらは、言い換えれば、誰が、どんな文脈でで語るか、によって使い方は違うだろうし、その場合に丁寧な使い分けが必用だろうと思います。自殺が、本当の意味で「自死」と言い換えられる社会に変えて行くためにも、自死遺族として、そして相談支援者の一人として、強く思うところです。

        <フォーラムのチラシ>
        http://mhl.or.jp/pdf/hirakat%20tirasi.pdf
        <参考>

        「自殺」を「自死」に変更 遺族の要望、島根県(日本経済新聞 2013/3/30)
        http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG3000X_Q3A330C1CC0000/
        ↓島根県のサイト
        http://mhl.or.jp/pdf/hirakat%20tirasi.pdf