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        29 学校における重大事故後の事後対応と『対象喪失』
        2020/03/18
        『心の傷を癒やすということ』安 克昌:著をちまちまと読んでいます。少しずつしか読めません。
        昨夜、「対象喪失」後の「悲哀の仕事」とその段階、こどもが体験した場合の反応・行動などの記述を…。
        フロイトが提唱した悲哀・喪の仕事、J・ボウルビーらが提唱したその段階、そして小此木啓吾が著した『対象喪失』-悲しむということ-で書かれている以下の文が思い出された。

        …あまりにも過酷な脅威や危険が迫っているときには、「情緒危機」は起こっても「悲哀の仕事」は、その危機が去るまで引き延ばされ、後回しにされる。(同書第5章 「悲哀の仕事」の課題と病理から)

        学校事故・事件など、こどもやきょうだいが、学校生活に起因する事故・事件で命を落としたり(自死や怪我)、重篤な後遺症と生きることになると、ほとんどの場合、「喪失」事態に続いて悪夢のような「苦」がすぐさまやってくる。いわゆる学校や教育委員会による「重大事故後の事後対応」によるものである。
        学校側に責任はないなど、逃れと隠しに躍起になって「組織的」対応をし始め、遺族・家族を苦しめ、突き落とし続ける。
        「悲哀の仕事」をじっくりと取り組むことができないまま、「おかしいんちゃうん?」「何が起こったのか、本当のことを知りたい」「何で嘘つくの?」と、行動を起こさざるを得ない。中には、ぐっと飲み込みながら、動くことすらできない人もたくさんいるだろう。

        私の場合も、もう20年が過ぎようとしているが、「悲哀の仕事」を順序立てて取り組むこと無く、長年経過しても行ったり来たり、どれも途上で振り出しに戻る感が否めない。

        キューブラロスによる「悲哀の仕事」の5段階は以下。

        ① 否認

        →自分の余命がわずかであることは「何かの間違えだ」と反論し、事実を受け入れない段階。

        ② 怒り

        →余命があとわずかであるという、事実は受け入れることが出来るが、「なぜ何も悪いことをしていない自分が死ななくてはならないんだ。」というような怒りにとらわれるような段階。

        ③ 取り引き

        →なんとかして余命を長くできないかと願ったり模索したりする段階。

        ④ 抑うつ

        →取り引きがどうにもならないと理解し、現実的に死を受け入れ、絶望や憂鬱に支配される段階。

        ⑤ 受容

        →生命に終わりがあることを冷静に受け止め、自分の人生の終わりを受け入れる段階。

        心理学用語
        心理学用語:喪の作業(モーニングワークス)より

        『心の傷を癒やすということ』では、PTSDのDSMによる診断基準も載せられており、改めて今も基準を満たしていることを再確認しました。

        いじめに限らず、事故や自死、後遺症など、『対象喪失』を背負う当事者・遺族・家族に、真の意味で寄り添う重大事故後の事後対応のあり方を学校現場や教育行政に真に求めます。