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        39 2011年に投稿した原稿
        2023/01/08
         「少年問題ネットワーク」という会がありました(2001年8月発足)。弁護士、研究者、ジャーナリストなど、少年問題に関わる人たちが会員となり、井垣康弘氏(元神戸家裁判事)を運営委員会委員長としたもので、近畿弁護士会の方から紹介されて、2005年頃からメルマガ会員にさせていただいていました。このメールマガジンは通算137号が最終号として2013年8月に発行され、その後のことはわかりません。しかし、こうした取り組みを(少なくとも)12年にも渡って続けて頂いたことに感謝するしかありません。
         私も1回は書いておこうと考えていたのでしょう。2011年10月に事務局に以下の原稿を送ったようです。掲載されたかどうかは覚えていませんが。
         書いた当時は放送大学大学院で修士論文の大詰めを迎えていた時期のようです。

        「不登校対応など、教育行政は10年経っても…」

        木下 秀美(精神保健福祉士・教育と人間関係の相談室カンナ代表)

         本メルマガの資格要件の「ロ メールマガジンに何らかのご投稿をいただくこと」、「ト 三月に一回は発言する旨誓約していただけること」を字義通りに受け取ってしまうたちなので、「そろそろ何か投稿しなくちゃ…」と思いつつ早○年が過ぎました。やっと、短文ながら書けそうなテーマができたので、トライすることに致しました。

         私が本メルマガを受け取るようになったきっかけは、2000年2月4日に、不登校から自殺を選択せざるを得なかった長男(当時中3、15歳)を、その心理社会的要因として断崖のように眼前に追い込んでいった、当時の公立中学校における荒れや不登校などの問題事象に対しての不作為を明らかにしつつ、その対応や体制の充実を求めて、2000年10月3日、京都弁護士会に申し立てた人権救済でした。
         京都弁護士会は申し立てを受理し、1年半近くの調査・検討の末に「荒れ」の放置を学習権の侵害と判断し、それらの改善に向けた十分な対応を求める「要望書」を、2002年3月29日、京都府教育委員長、向日市教育委員長、学校長宛に執行しました。
         長男が体験した中学校の実態や人権救済申し立ての顛末、長男の育ちや親としての関わり、そして長男の喪失体験をめぐる思いをまとめ、『不登校自殺 そのとき親は、学校はーー』(2002,5,7:かもがわ出版)として出版。お世話になった弁護士の依頼もあって、京都弁護士会人権擁護委員会の司法研修や、近畿弁護士会の学習合宿などでお話させていただく機会を与えられ、井垣委員長とも出会い…、という経緯によるものでし。

         さて、私は、拙書『不登校自殺』を出版した頃より、あるいはそれ以前から、思春期の心理臨床的支援や学校教育、人間発達、精神医学などの分野の学びをきちんとしたいという思いが強まり、翌年度末にそれまで勤めていた企業を退職し、放送大学に編入学(1回目の大学は3年で中退)。これら分野の科目を履修し、卒業必要単位に達したため卒業証書が送られてきてしまいました。その頃には、対人援助を人生第二の仕事にすることを決心していたため、現在の相談室を開業するとともに、精神保健福祉士国家資格を取得するために通信制の専門学校で学び、卒業年度の1月末実施の国家試験に何かの間違いで合格し、精神保健福祉士としてさまざまな相談支援に従事してきました。現在も懲りずに、放送大学大学院・人間発達科学プログラムM2で修士論文に追われています。
         しかし、原点は2000年2月4日ですから、不登校などの学校における「問題事象」、思春期の心理や、思春期における発達課題の未達成(自我同一性拡散など)が後の青年期・成人期に与える影響、そして不登校・ひきこもり状態になってしまう要因として着目されてきた「発達障害」などについての臨床的支援実践が、生活のほとんどを占めるという日々を送っています。
         
         前置きが長くなりましたが、人権救済申し立て以降、毎年、在住市内の公立小中学校における「問題事象」などの情報公開を請求してきました。
         今年も8月13日に公文書公開請求を行い、9月末に公開された市内小中学校の平成22年度の問題事象や特別支援教育に係る公文書をざっと見ての感想を述べたいと思います。
         22年度のスクールカウンセラーの活動状況について。6つある小学校でSC配置は1校。そのSCが扱った相談は年間延べ446件で、その内、「教師との関係」が241件とされていました。そして、相談者は「教師」が204件。SC配置の目的が、本来の目的から逸れながら、教師の相談対応になっていて、それ自体はそれでいいのでしょうが、子どもたち177人、保護者41人、教師204人の相談者の中で、SCに相談した内容で半数を超えるのが「教師との関係」。ということは、子ども・保護者の相談の大半が「教師との関係」についてSCに相談している、ということになるのでしょうか? だとすると、学校そのものが機能不全化していて、その問題解決をSC頼みにしているということになります。
         22年度のスクールカウンセラーの3つの中学校での活動状況について。生徒数、SC配置数、延べ相談件数は以下の通りでした。
        A:628、2、159
        B:385、1、225
        C:304、1、208
         相談者の内訳、生徒、保護者、教師、合計は以下の通り。
        合計 A:112、46、1、159
           B:87、49、87、225
           C:109:21、78、208
         A校では教師の相談が年間1名しかいない?? 生徒数が多いことからでしょうが、実働はともかく他校に比べて1名多い2名体制。こんな学校はめずらしいのではないでしょうか。にも関わらず、教師は1名しか相談していない…。「SCには相談するな」という管理職からの圧力があるとしか思えない結果です。
         B、C校では校内の教職員の相談やコンサルテーション機能が働いているようですが、A校では抑制がかかっているために、生徒もSCへの相談に躊躇し、教師は問題や課題を抱え込んでいるとしか思えない結果も出ています。A校の不登校での生徒の相談件数は他校と大差はありませんが、「性格・行動」などの相談が異常に少ない状況でした(A:16、B:58、C:98)。
         そしてA校の不登校の出現率は3.97%、人数では市内全体の60%と高い状況です。B校1.55%、C校2.79%、3校合計の平均は2.96%ですから、A校が俄然引き上げています。
         SC活用は抑制されているとしたら、SC活用を学校管理者が阻害しているという問題になると思われます。A校の出現率は、11年前は4.39%、10年前は5.14%。当時の校長は、学校管理目標は「校則遵守」「学校秩序維持」と言って憚りませんでした。
         校長が替わったり、職員が替わったりという変化はこの10年であるでしょうが、市内の「モデル校」的存在であることは変わっていません。この「モデル」的存在というのが問題改善を阻害しているとしか思えないのです。SC活用も無視して、管理統制が今でも行われているのでしょうか? 教職員も相談相手を持てない学校…。
         もう一つ気になる資料は、向日市の22年度の特別支援学級実態調査。対象となる児童生徒数は小学校56人、中学校27人(?)。中学校の通級(自校および他校)は13人とのこと。1,317人の生徒だから0.987%。発達障害特性のある児童生徒がみんな特別支援学校に通っているとは思えないので、数字だけを見ていても疑問だらけです。
         要するに特別な配慮や支援が必要と思われる児童・生徒に気づいていない、理解しようという意識がないということなのでしょうか? 小中各校で「特別支援教育全体計画」などが作られていて、45枚もの資料が公開されました。でも、どれも似たような「年間方針」だけで、「会議録」や「総括」などは1枚もありませんでした。「特別」にしない教育実践が行われているのなら問題はないのですが…。
         10年余りの追跡調査(?)になっていますが、A中学校の生徒指導を「管理統制」で何とかしよう、という姿勢はどうやら変わっていないという残念な結果が見えてきました。迷惑を被るのは、子どもたち、ご家族、そして地域社会です。教育委員会は、「問題事象」とSC活用の関連性、「特別支援教育」のあり方、といった視点から、各学校現場での子どもたちの人権(学習権をはじめとして…)が守られているかどうかを検討してもらいたいと思います。
         「発達障害」(特に自閉症スペクトラム=ASD)特性が表面化する(高機能群では思春期での発現が多い)ことによって、クラスでのからかいやイジメの対象となり、不登校や対人恐怖、自尊感情の低下、具体的な被虐体験がトラウマとなり、特性としての記憶力の良さや独特の認知構成、対人相互作用の困難さなどに加えて、思春期葛藤と発達課題が加算されて自己の認知・感情コントロールが不能になるケースが多く、抑うつや不安・強迫神経症などの二次症状、ひきこもり状態、親への暴力・暴言、他者への攻撃や犯罪行為、自殺、社会からの孤立、防衛機制による解離やファンタジー没入、統合失調症などの誤診によつ多剤大量の薬物投与の継続による思考の抑制…。「失われた思春期」、「失われた10年」…という表現を、多くの当事者から聴いてきました。
         「楽しい」という体験や思い出が何一つない、という過去に、苦しさや悲しさ、悔しさ、怒り、憎しみなどの否定的な感情しか持てない人生を想像して見て下さい。これらの被虐体験や認知は、学校という社会で作られてきたという現実に、教育、精神科医療、司法、保健・福祉、関連行政に関わる人は、「仕事として」はもちろん、「人として」真摯に直面する覚悟を、時代が必要としていると思います。「発達障害」も、不登校も、ひきこもりも「病気」ではありませんから(二次症状は精神症状であり治療対象)、精神科医療まかせ、特別支援教育担当者や生徒指導部や担任まかせ、ましてや親まかせ、本人の問題にしてしまうなど、現前の課題の放棄、逃避でしかありません。
         それぞれの地域で、子どもたちの学びと育ち、その環境(家庭、学校、地域…)を支え助け合う社会資源の構築と人材養成、それらの有効な連携が進むよう、微力ながら関わり続けたいと思っています。